1952-06-03 第13回国会 参議院 外務委員会 第36号
にはとんでもない誤訳、悪訳があつたので、その後多分外務省解訳というのは改められたものだと思つておりますが、外務省のには恐るべき誤訳と政略があるから、だから私はそれを用いないで、ほかにそれよりも少しましな飜訳がよそにあるから、それを用いることにしますが、それによると、あの大西洋憲章の第四項には、「兩國は」両国というとイギリス、アメリカのことでありますが、「兩國は其の現存義務を適法に尊重し大國たると小國たると又戦勝國たると
にはとんでもない誤訳、悪訳があつたので、その後多分外務省解訳というのは改められたものだと思つておりますが、外務省のには恐るべき誤訳と政略があるから、だから私はそれを用いないで、ほかにそれよりも少しましな飜訳がよそにあるから、それを用いることにしますが、それによると、あの大西洋憲章の第四項には、「兩國は」両国というとイギリス、アメリカのことでありますが、「兩國は其の現存義務を適法に尊重し大國たると小國たると又戦勝國たると
かくのごとき事情を考えますると、かつての産銅國たるわが國の前途はまことは憂うべきものがあるのでありまして、さらにまた四万に上る銅鉱山労働者の失業問題を思うとき、その社会的影響の甚大なることは、まことに看過しがたきものがあるのであります。 次に、硫安の原料たる硫化鉱でありますが、これはあらためて申すまでもなく、食糧と直結すら重要性を有するものであります。
國内法といたしまして、國民にそのよるべきところを示し、その限界を示して、それを超過するものを処罰するといつたような法治國の法治國たるゆえんのものを、かくのごとき漠然たるものを以て律して、以て他に対するがごときは我々のとるべきところではないのであります。
占領下でございますので、法律の形式が最高司令官の承認を得るという形態になつておりますけれども、実質的には欧州等の例によりましても、協定ということで援助國たる米國にいろいろな義務を負つておるわけであります。過般出ましたデイレクテイブと同じような義務を、被援助國は米國に対して負つておるという点を、御了承願いたいと思います。
食糧問題となると、大農國たるアメリカの技術も、アジア的水田小農国たる日本には一向通用せざるがごとくであります。一般國民も亦、ややもすれば、國土狹小にして猫の額程の零細農では如何ともすることができぬというような、陳腐な常識論に終始して今日を糊塗しておるかのごとく見えます。
これはヨーロツパに北大西洋條約ができたから太平洋にもこれと同類のものを作ろうというのであろうが、連合國の一國たるソ連、並びに中國共産党によつて人民民主主義國に一大変化している中國の立場を無視し、我が國をして一方的に國際條約に縛り付ける危險を敢てせんとするものである。これが戰爭を放棄し、民主主義平和國を作ることを誓つた日本國政府内の一高官から出る言葉であろうか。
世界の農業國たるデンマークは六〇%、アメリカにおいては一七%となつておりますが、北海道のごときはわずかに六%しか開発されておらないのであります。これを知るとき、わが國の食糧増産のための農地開発がいかに閑却されておるかに、まつたく驚きを感ずるのであります。この際國土開発、特に北海道開発により食糧増産と失業対策の一石二鳥の手を打つべきであるが、増田官房長官の御所見を承りたい。
我が國は嚴正中立國たることを熟望するのでありますが、たとえ中立を堅持しようとしても、米軍は撤兵し、そのあとに他國が日本に侵入するようなことが起つて、これと内からの撹乱が起る場合、武力を放棄した我が國民の自由と民主主義を防衞するには如何にすればいいか。こんなことで果して我が國の眞の中立が保持し得られるであろうか。かかる重大なる危惧を國民は絶えず抱いているのであります。
敗戰國たりといえども、世界人類永遠の中和を守り、これが実現への主張に際してはたとい戰勝國に対してといえども、断じて怯懦であつてはならぬと思うのであります。われわれは、この規定の撤回方を懇請すべきだと思うが、この点に対して首相の所見を承りたいのであります。
われわれの聽いておりました当時の状況から判断いたしますると、大体兵器と申しますのは、戰勝國たるアメリカが勝手に処分してもいいという建前になつておりますが、バラード大佐といたしましては、日本の産業状況がこういうふうに混沌たる状況だ。この廃兵器をよりよく産業復興に使つたらどうだ。こういうふうな熱意は非常にもつておられたようにわれわれは仄聞いたしております。
ときには敗戰國たる現實の事實さえもまだ徹底しない、そうして一面には、經濟的窮乏に喘いでおるのでありますから、すべての惡條件は、政府に立つておるものの責任であるという、一應の考えを持つことは世界各國において免がれ得ない。如何なる國においても、かくのごとき環境の下に、政府に立つものが國民の多くの非難の的になる。こういうことは、これは極めて共通の事實であります。日本ばかりが例外であるとは思えません。
國民の関心の薄いのが反映いたしまして、海運に対する政府の施策は誠に貧弱であり、その結果終戰後三年を通過せんとする今日におきましても、海運再建の歩みは遅々たるもので、この有樣では戰前世界第三位の海運國たることを誇つた面影は更になく、貿易が再開された曉において、國際場裡に乘り出しましても劣敗者となることは火を見るよりも明らかであります。
むろん平和会議が開催せられ、平和條約締結後においてさらに日本が國際連合に参加をするとか、あるいはまた先ほどお話の永世中立國たる地位を進んでとるべきかどうかという問題に当面するのでありますが、いろいろの環境から考えてみて、今日日本がすぐに國際連合に参加し得られる時期が迫つておるとも考えられず、いわんやそれ以上さらに永世中立の態度をとるという問題についても、今日確たる見透しをつけるだけの事態には達していない
すなわち、一面において議員の立場を尊重しなければならないのでありますけれども、一面においては、國民全般の幸福のために、犯罪捜査、犯人の取調、檢挙というような問題も相当嚴重にやつて、わが國の法治國たる秩序を維持していかなければならない。この二つの問題をにらみ合わせていかなければならないのでありますから、それらは実際の問題に照し分わせまして十分に考えていきたいと思うのであります。
また政府は失業者の数を約八百万と推定しているが、この失業救済は、消極的手段ではとうてい解決されるものではなく、國家的に大規模な公共事業を政府が中心となり、強力に遂行することによつて初めて解決の曙光が見出されるのであつて、戰勝國たる英帝國の復興大臣が、完全雇用の問題をみずからの責任において解決せんとしておることを思うべきである、この見地よりしても、建設省の設置は焦眉の急務であると思うがどうか。
かの戰勝國たるイギリスにおきましても、復興大臣の任務と責任が戰後経濟再建の中心となつておる事實に照らしましても、焼土と化した敗戰日本の復興のためには、國土建設事業こそ政治経濟の枢軸とならねばならぬと存するものであります。今にして各省にわだかまるセクショナリズムの陋習を放擲し、虚心坦懐、國家の總力を傾注して國土の再建に精進するのでなければ、わが國の前途には容易に光明が輝かないと存ずるものであります。
大きなダムを起すとか、道路を拡げるとか、あるいは未開墾地を開墾するというような問題は、手をつけなければならない問題でありますが、敗戰國たるわが國いおいては、非常に困難を覚えるのでありまして、その前提として経復興、産業復興にまず手をつけてから後にいかなければならない。
殊に憲法に新しく戦争を絶對やらないということを宣言して、平和國たることを世界に闡明いたしました國としての誇り、國民としての矜持、お互いにもつていきたいということを、積極的に政府としても指導いたしたいと思つております。その意味におきまして、日本國の使命、日本國の更正、日本國としてのこれからの目的というものは、ほんとうに文化のために生きるのである、文明のために生きるのである、それ以外にはない。
なおまた、わが國が完全なる國際場理に独立國たる名誉ある地位を占むるにおきましては、中國あるいは中部アジア、あるいは南方地域等の間にも相當の貿易が再開せられることは間違いないところであろうかと思います。こうした問題等を考えますときに、わが國の科学技術、指先の器用さというものは、將来相當の光明あるものだというように私は考えておるのでございます。
いわんや國敗れて官吏のみあるという敗戰國たるわが國の現状においては、特にしかりであります。切開すべきものはその時機を失わずに、大擔に切開すべきであります。いたずらに遷延して時機遲れとなつては、かえつて深刻な危險をもたらします。行政整理、企業整備は、必然に社會不安をもたらすために、人はその表裏の關係として、受入態勢や退職資金、失業救濟の整備ということを申しますが、まことにしかりであります。
戰勝國たるヨーロツパ各國においても國民全体に対して耐乏を求めておるようであります。況んや敗戰國たる我が國においておやであります。自分の立場だけを考えて自分の立場がよくなれば國家経済の問題、産業の問題はどうであつてもいいというようなことでは祖國再建はできないと考えるのであります。
殊に敗戰國たる我が國におきましては、我々の周囲において、日々に毎日見るところであります。又從來の家の束縛、傳統、習慣などから解放された我が國民の現状は、表面上はよくいへば自由がありますが、半面責任なく、非常に放埓に流れております。